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人の成長は、未熟な過去に打ち勝つこと

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今朝会社へ向かう途中ふと思ったことがあったのでメモ。

企業への評価が成長に対する評価であるのは、
ネズミ講に近い発想というか、人は必ず死ぬのに
企業や国歌は不老不死で、世界中のあらゆる資源は無尽蔵に産出され
未来永劫成長オッスオッスみたいな歪んだ視点なのではないかと。

その歪んだ観測点が生み出したものは、往々にして
中身が追いつかなくなっていくというか、成長すること自体を目的とした結果
ものすごい歪んだものがブクブクと太っていったものが多い印象ある。

大きくなった企業は何かしらで小さくしたりしてるし、
大きくなる前に気付いた企業は成長スピードを緩めるというか
成長それ自体を目的としなくなったりしてるのではないかって。

国家になるとちょっと規模が大きいので
ひとつの要因で是か非か決まらないし、結果として
成長してしまった歪みみたいなのもあると思う。

現代の社会は産業革命以降の産めよ増やせよ大量生産大量消費の歪みだ、
人間は原始に生活様式を戻すべきだとか、そういうことではなくて
成長し続けるという思想には無理があったので、その思想はもう古いから
止めた方がいいよね。っていう発想に展開されないのかな。

発展っていっても、何を判断基準にしたらいいのかなって考えた時に
なんとなく思ったのが、その人や、その会社、その国がある期間の間に
何に気付いて何をしたのか。っていうことに重きを置いたら面白いんじゃないかって。

もちろんベースとして、生産的活動はある上での話。

生産的活動って結局のところ気付きから発生することが多くて、
ハッカーとか、思想家とか、アーティストとか、スポーツ選手とか
起業家とか、大企業の社長とか、大物政治家とか、掃除のおばちゃんとか

みんな生活している上で何かしらに気付いて
リアクションとして何かを生み出したり改善したりしている。

そのリアクションがより良いものを生み出したり
資本を増やしたりするという結果につながっているのではないかなーと。

みたいな論文もうどこかに出てそうなので、
翻訳されたら読んでみたい。

取り敢えず企業も国歌も成長成長オスオス!みたいな発言してるの見ると
ダサく感じる時代になってきたのかなーと思う。

すごくつくる時代から
すくなく効率的につくる時代にシフトできるといいな。