教育者と実践者の乖離
実践者であるということは実務を行う能力には長けているが、他者の育成については弱い場合が多い。
また逆もしかりであり、教育者である場合は実践が弱い場合が多い。
組織の永続性を考えた場合に、組織に適応しうる人材を確保しつづけるコストを払うか、適応できる人材を育てるかの判断が必要である。
それは速度と資本と哲学が関係する。
速度と資本と哲学については、また別の機会にするとして、組織の永続性を考えることに集中したい。
実践と教育、組織を効果的かつ永続的に維持するためには両軸の資本を持たなければならない。
全ての人材が両軸であれば悩みは少ないが、実際は不可能に近いだろう。
ゼロから始めた場合においては、両軸の人材を育成することはその団体の文化、理念においては可能であるが、ある一定の水準まで技術を身に付けた人材を雇用する場合においては、役割を分けるべきであると考える。
組織の規模と速度
ある程度のタイミングまでは少数精鋭で実践を重視し、ある程度の規模になった段階で教育の観点を用いるのが良いと考えている。
どのように実践者しかいない組織に教育という文化を育むのか?という問いについては組織に若い人材が入ることで解決の糸口が見えるのではないだろうか。
無知という強さを利用し、実践者から知識を学ぶ機会を創出し、その機会を大いに助ける姿勢を組織全体として見せる、支持することで育むことが可能ではないかと考える。
つまり人材においては実践者であれど、組織自体が教育者である場合、両軸の組織運営は成り立つと考えている。
知らんけど。
人類進化と放射線、種の保存とエラーについての備忘録
参考サイト
人間のコミュニケーション能力の進化を見るblog.livedoor.jp/sttl/archives/14890103.html
人類の知性が飛躍的な進化を遂げたタイミングが3回あり、その3回とも高濃度の放射線を発するマグマの噴火があったとのこと。
つまり、放射線によって染色体がダメージを受けて突然変異が発生したとのこと。
「種の保存の為に多様性を持たせる」という意味合いではグループ、組織、企業、社会などあらゆる面で言われているが、重大なエラーや問題が起こった時にその種や組織が飛躍的な発展を遂げるチャンスかもしれないという科学的なアプローチもあるかもしれない。
もちろんシステムに対して意図的なアプローチの効能を狙うことも考えられるが、意図的であるということがエラーであるかどうかは議論の余地があると思う。
よりよい会議のために、「最高品質の会議術 」を読んだ
結論
よりよい会議をひらくためには準備が全て(リマインドは1日前、1時間前) - 会議の前に何を決めたいか、何を相談したいかを伝えておく - 会議の資料を共有して、考えておいてほしいところを伝える タイムキーパー大事 - 議論があるのは良いが制限は必要。長くなるなら会議のあとで - 会議を小気味よく進めるためにもファシリテーターは時間は意識する
背景
むかしはこんな感じだった
「指示」「命令」に慣れた「自分の頭で考えない」メンバーが集まった会議ではディスカッションは成立しません。その結果、「マネジャーの独演会」や「数人のメンバーが議論を牛耳る不毛な会議」が生まれてしまうのです
いまのなやみ
- 会議の内容に対してに参加するメンバーが多すぎる気がする
- 人数が多いせいか、会話に参加しない人が出てきたり、覇気がない気がする
- 時間 x 人数に対しての結果がかんばしくない気がする
- ダラダラしてしまっている気がする
気がする、という雰囲気のものが多かった。
そもそも、何のために会議が必要なのか?
- 「決めて、断つ」ため
何かを決めるときには決断しなければならない。決断するとは「決めて、断つ」ことを指します。A案B案があるときには、どちらかを取って、どちらかを断ち切らなければならない。そして、もしかしたら選択を間違えるかもしれない。その恐怖心も断ち切らなければならない。つまり、意思決定とは「断つ」覚悟を決めることなのです
本来、「ネクストステップ」が示されない“報告”は報告と呼ぶに値しない、と。「ネクストステップ」とは、報告内容を受けて、「これからどうするのか?」を提案するということです。つまり、「報告+ネクストステップ」が示されて、はじめて報告と認識すべきなのです。
「決めて、断つ」、そして次になにをするのかを決める。 それは会って議論する価値のあるモノ。
- 相談のため
「報告+ネクストステップ」が終われば、「相談」に移ります。 ここで重要なのは、どんな些細なことであっても、ネガティブ情報をきちんと伝えることです。いや、まだ“些細な問題”に留まっている段階で伝えることに大きな意味があるのです。 なぜなら、「上司を絶対に驚かせてはならない」からです。トラブルが“小さな芽”のうちであれば、上司も手の打ちようがありますし、むしろ、上司のウデの見せどころとなる可能性すらあります。しかし、突然、大きな問題に直面した上司は、上層部から責任追及を受ける立場に立ちますし、トラブル対応に追われることになります。そして、“小さな芽”のうちに問題を報告しなかった部下に対する心証を決定的に損ねる結果を招くのです。
車のハンドルは、細かく切っていった方がコースをうまく走れる。 ハンドルをどちらにどれぐらい切るべきか、現実を理解、共有する。 それは会って議論する価値のあるモノ。
決めて断つ、自分たちが今いる場所を理解する
世の中のすべては冒険と同じだと考えている。例えば、山を登るのか、川を下るのかを決めて、断つ。川を下る決断をしたとして、自分たちは意図した道を歩けているのか、けが人は?食料は?位置は合っているか?など、常にお互いを助け合える状況にするために、会議は必要だと理解した。
この本を読んで改めて理解、気付いた点。
準備が万事、万事は準備
不要な会議 - 決断することも、相談することもない
よりよい会議をひらくためにはリマインドが必要(1日前、1時間前) - 会議の前に何を決めたいか、何を相談したいかを伝えておく - 会議の資料を共有して、考えておいてほしいところを伝える
時間に気付く
定例会議に1時間を取ることが慣例化していましたが、これを基本的に30分に短縮。提案書の事前提出を徹底させ(意思決定に必要な条件を満たしていないものは、この時点で差し戻し)、会議では3分以内でのプレゼンを義務づけました
気づかないうちに、「会議 = 1時間」のルールが自分の中でもあったので、30分で終わらせられるようにした。タイムキーパーも大事になるので、Time Timer® Time Timer タイムタイマー 19 cmを会社で買った。見える化は大事。
最近、課題に思うことを読書で解決できることが多い。 良い本を書いてくれた人と、その本の出会いに感謝。
仕事や人間関係の大抵の悩みはこの一言で
「みんな一生懸命生きているから仕方ない」
この一言でかたがつく。
彼も彼女も、おじさんもおばさんも、みんな一生懸命生きようとしているから仕方ない。
全てはそこからはじまる。
そこから考えていけば良いんだと思う。
若者の夜更かしは違法ドラッグと同じ
現代の日本ではメンタルを病む学生が少なくないと感じる。
その理由はなんだろうか?
なぜメンタルを病んでしまうのか
メンタルを病んでいる学生100人ぐらいに会って調査した。
その結果、全員が昼夜逆転、もしくは夜中まで起きている状態だった。
メンタルを病んでいる子に
・朝起きること
・朝起きたら朝日を浴びて軽い運動、もしくは10分ぐらいでも良いから外を散歩すること
この2つをおすすめして実践してもらった結果、症状の回復が見られた。
夜更かしは違法ドラッグと同じ
夜更かしは楽しい。みんなが寝ている間に起きている優越感や、覚醒感がある。
そしてその影響として少なかず身体と精神に負担がかかる。
その結果メンタルにダメージを負うことになる。
多くの家族が「夜更かしぐらい」と軽い気持ちで考えているが、昼夜逆転した生活サイクルにはまってしまうとそこから抜け出すのは一苦労。
ある意味、違法ドラッグにはまってそこから抜けることと大差がない。
学校の良いところとは
学生を朝起こすシステムがある学校はすごい。
自分が真ん中でありたいと願うなら
自分が中庸で論理的でありたいと願うなら、片一方の主張や情報だけで判断することは絶対にあってはならないし、思考を止めるような感情的な断定、判断はあってはならないと思う。
その意味で、アメリカの大統領選は問題が顕在化されているように見える。
インターネットなどでパーソナライズされた情報やフェイクニュースを信じて偏った判断をしてしまうという情報の取り扱いの能力の差が分断を生んでしまっているということを。
日々の生活においては、問題が起こった時に片方の言い分だけを聞いて、もう片方の言い分を聞くことを疎かにして、断定してしまうこともそうだ。ニュースもワイドショーも噂話も揉め事も。
とはいえ、問題は課題にできるから、この情報の取り扱いと判断の能力の差をどう埋めることができるのか、っていうのが次の産業や教育の基礎になるだろうし、しないとアカンなぁと反省している。
個人の問題としては
「茅ヶ崎に住んでいる男性は、夏は基本的に上半身は裸で外出しています。靴はビーチサンダル以外履きません。」という発想はよくない。日々反省😂