「アシュラ」劇場版と原作両方みた

劇場版見た。期待してたけどそこまでじゃなかった。
原作、Kindleで買えたので買った。

京都の寺とか仏像のこと調べると、大抵応仁の乱の時に焼かれたとか書いてあって
応仁の乱、1467~1477まで京都で戦争してたって書いてあって、それだけでも悲惨なのに

"京都では長禄3年(1459年)旧暦8月に台風が直撃し、賀茂川が氾濫して多数の家屋が流出し、
数え切れないほどの死者が出たほか、飢饉がより深刻化した寛正2年(1461年)には、
大量の流民が市中に流れ込み更に事態は悪化した。
飢餓と疫病によって、寛正2年の最初の2ヶ月で京都で8万2千人の死者が出たと言われている。
だが、室町幕府の将軍足利義政はこの最中に花の御所を改築し、世事に全く関心を示さず、
堪りかねた後花園天皇の勧告をも無視した。
こうした混乱は、5年後に発生する応仁の乱への下敷きともなった。"

長禄・寛正の飢饉

日本文化のルーツ、義政とか東山文化は重要な位置にあると思うけど、
その背景には、鴨川が氾濫して家屋が全部流されて、人が人を食ってたり、
鴨川に死体の山ができて流れが止まったりとか、そういう狂気じみた世界があるし
そういう背景を理解した上で歴史見ると、また色々と違った見え方ができると思う。

平安時代、優雅な時代とか書いてあるの見ても、その頃もやっぱり都は

方丈記』では京都市中の死者を4万2300人と記し、「築地のつら、道のほとりに、飢ゑ死ぬもののたぐひ、
数も知らず。取り捨つるわざも知らねば、くさき香世界に満ち満ちて、変わりゆくかたち有様、
目もあてられぬ事多かり」として、市中に遺体があふれ、各所で異臭を放っていたことが記されている。
また、死者のあまりの多さに供養が追いつかず、仁和寺の僧が死者の額に「阿」の字を記して回ったとも伝える。

養和の飢饉

こんな感じで悲惨なことになってる。アシュラ、連載打ち切りになったらしいんだけど
物事の表面ばっかりなぞってもの本質見えてこないし、そういうのちゃんと教えた方が良い。

生活水準は遥かに向上してるけど
やっぱり人が人と生きるっていうのは
修羅の世界に生きるみたいなもんなんだなって思う。