「踏む」という表現について

最近、「踏む」という表現を使っている。

意味は特にないけど、"経験している"、"通っている"という意味合いで使っている。

 

「大学で経済を"踏んでる"んですよね」

「自己破産を"踏んでる"んですよね」

「中学生の時にサッカーを"踏んでる"んですよね」

吉田松陰四書五経を"踏んでる"」

渋沢栄一は"論語"を踏んでる」

 

人生とは時間の"踏み方"だと思う。

どこを踏んできたのか、歩いてきたのか。

 

それがスティーブ・ジョブズ氏曰く

コネクティングザドッツになり得るものだと思う。