#qpstudyと仏教とわたし

本エントリーはビール駆動記述によって書かれているため
内容については3割で読んで頂けると幸いです。

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先週、エンジニアサポートCROSS 2013というイベントに参加して
リーダーさんと初めてお会いして

我「来週qpstudyですよね、DevOps。」
我「社内ではDevOpsなんてものは存在しないって話なんですよ」

リーダー「そのポジションでパネルディスカッション参加して!」
我「!!!?」

ということで、@kazeburoさんや@fujiwaraさんに
一緒に出ましょうよ〜って誘ったんですけど、2人とも家族と過ごす!って言ってて
ウッ、家族サービス。。では仕方ないですね...

という流れで、情弱ながらパネラーとして参加してきました。

スタッフのみなさま、参加されたみなさま
パネラーのみなさま、おつかれさまでした!

人生で初めての勉強会がhb qp bp study 新年LT&ビアバッシュ2012
3月に転職してから、色々アウトプットし出したりした情弱な私が
翌年にqpstudyのパネラーとして参加してるの、本当に場違いな感じだったんですが
勉強会参加ぐらいしかしたことない方が
アイツが出れるならオレだってもっと参加しても良いんじゃん!
みたいな気持ちになって頂けたらいいなと思い、参加しました。

話したことは

「開発のとき運用を考えられないのは素人」「運用のために開発できないのは二流」

社畜が嫌なら自分に付加価値を付けなければいけない」

「DevとかOpsという言葉で自分のフィールドを制限してはいけない」

「DevOps、ただのバズワードとして扱って、自分の範囲外のものに目を向けてみるきっかけにしてみては」

みたいな内容を話しました。
基本的にスピリチュアルな話でした。

スピリチュアルといえば、仏教には衆生という概念があります。
元々人間、とかという自己の存在は西洋文化から入ってきたもの
というのはご存知でしょうか。

例えば、「そこに山がある」という日本語を英語に訳すことは難しいんです。
何故難しいのかというと

  • 「わたしは山を見ている」
  • 「その町には山がある」

など、主体となる存在がないんです。

宗派によって多少解釈が異なることはありますが、
こんな感じで、境界線によって業が産まれるなら
最初からそんな境界線なんて存在しないんじゃないの?
みたいな発想があって、わたしはその発想がすごい好きなんですね。

つまり、DevもOpsもないんです。
自分で境界線を引かない限りは、そこに境界線は産まれないんです。
境界線を引いた瞬間に、制限や争いが発生するんです。

ということで、自分の業務外だとか、関係のないものだと思っていたものに
目を向けてみたり、自分でもやってみるとかすると
新しいことが見つかるかもしれません。
そういう何かのきっかけになれたらいいなと思い、話しました。

もしくは、業の深いインターネットから離れて、仏像を彫るのも良さそうです。