教育者と実践者の乖離
実践者であるということは実務を行う能力には長けているが、他者の育成については弱い場合が多い。
また逆もしかりであり、教育者である場合は実践が弱い場合が多い。
組織の永続性を考えた場合に、組織に適応しうる人材を確保しつづけるコストを払うか、適応できる人材を育てるかの判断が必要である。
それは速度と資本と哲学が関係する。
速度と資本と哲学については、また別の機会にするとして、組織の永続性を考えることに集中したい。
実践と教育、組織を効果的かつ永続的に維持するためには両軸の資本を持たなければならない。
全ての人材が両軸であれば悩みは少ないが、実際は不可能に近いだろう。
ゼロから始めた場合においては、両軸の人材を育成することはその団体の文化、理念においては可能であるが、ある一定の水準まで技術を身に付けた人材を雇用する場合においては、役割を分けるべきであると考える。
組織の規模と速度
ある程度のタイミングまでは少数精鋭で実践を重視し、ある程度の規模になった段階で教育の観点を用いるのが良いと考えている。
どのように実践者しかいない組織に教育という文化を育むのか?という問いについては組織に若い人材が入ることで解決の糸口が見えるのではないだろうか。
無知という強さを利用し、実践者から知識を学ぶ機会を創出し、その機会を大いに助ける姿勢を組織全体として見せる、支持することで育むことが可能ではないかと考える。
つまり人材においては実践者であれど、組織自体が教育者である場合、両軸の組織運営は成り立つと考えている。
知らんけど。