禅、写経、茶の湯

テレビでお坊さんが、写経をすることで別世界へ行くことができる。
言葉を永遠と写すことで精神の深いところへたどり着ける。
という話をされていた。

禅と瞑想も同じで、今日気になっていた茶の湯の本読んでいたら
決められた動作を静かに正確に行うことによって、精神の深いところへたどり着ける。
って書いてあって、昔から市中の山居なんて言葉もあったことだし
当時の人もまた、色々と忙しかったり表層的な事象にやんや悩んだりしていたんだろう。

禅、写経、茶の湯、全部のルーツは心の再生というか
深いところまで潜っていく浄化作用というか、そういうものがあったのではないかと
ふと考えた。