消費する人と消費させる人の壁

最近、旅行で遠出する時にわざとカーナビを使わないようにしている。
目的地に辿り着くということだけで考えたら、めちゃくちゃ無駄。何も良いことはない。

ただし、冒険という観点で言うと最高。
そもそもきちんと着くことが確立されていない、ドタバタ劇、問題に次ぐ問題。

最高の合理的な生き方

人生どこまで最適化をしていけば良いんだろうと考えたことはありますか?
目的地へ辿り着くためにカーナビを使うがごとく、どこまで最適化すれば人生は合理的になるかなと。

生きる最高の合理的な終着点って今すぐ死ぬことだと思うんですよね。
生まれた時が始点で、死ぬことが終点なら、最適解は今すぐ死ぬこと。
より深掘りするなら、いかにコストを抑えてすぐに最短で死ぬか。
種の保全まで考慮に入れるとしたら、いかに自分の役割を早く終わらせるか、

だけれどそこまではいかない。せっかくだから生きている間ぐらいは楽しくいたいとか
生きているあいだになにかを成し遂げたいだとか、みんなそれぞれ生きているための意味というものを探したり考えたりしていると思う。

お金を払えば偉い教のおしまい

経営をしはじめて色々気付くことがある。
提供する側、雇う側になって気付くことがある
お金を払ってすべてを解決しようとしすぎた。

消費教に飼いならされた

お金をはらう = えらい。過剰サービス。
昔はなにもなかった。なにもなかったからえらい? なぜ、やるひとがすくなかった。
相手のことをおもいやるよりも役割を徹することをが重要視されていた
つまり人よりも役割が重要視された。

それが終わった。なぜか?
誰もやらなくなった。SNSの炎上とか。
そもそもお金を払って体験することが増えた。
プロが確立されすぎた
完璧を求めすぎた。息苦しさを感じ始めた。
そもそもそんなに完璧である必要があるのか?
若者は敏感

宮古島は台風が来るとみんな休む。
都会は台風が来た日こそ従順な兵隊かどうかをアピールするチャンス
けどもうそういうところで争う時代は終わった

モノが溢れた結果、コトにシフトしてきている。
ETCの話、たのしかった。
便利になった、冒険がただの移動になった。良いこともあればわるいこともある
東京まで行くお金がありませんと嘆く若者がいる。
片やヒッチハイクで色んな人と出会いながら、人生について深掘りする若者がいる。

その時間をどう活かすか
お金を払って手に入ったものはなんだったのか

そもそも消費以外の選択肢があるのではないか
新しい