「踏む」という表現について

最近、「踏む」という表現を使っている。

意味は特にないけど、"経験している"、"通っている"という意味合いで使っている。

 

「大学で経済を"踏んでる"んですよね」

「自己破産を"踏んでる"んですよね」

「中学生の時にサッカーを"踏んでる"んですよね」

吉田松陰四書五経を"踏んでる"」

渋沢栄一は"論語"を踏んでる」

 

人生とは時間の"踏み方"だと思う。

どこを踏んできたのか、歩いてきたのか。

 

それがスティーブ・ジョブズ氏曰く

コネクティングザドッツになり得るものだと思う。

やりたいことを決めるのはその人自身なのだということに気付くこと。メルカリにて

10億年前に買った、液晶が割れているiPad miniを処分しようと考えていた。

試しにメルカリを見てみたところ、同じモデルでジャンク扱いでも5,000円で買い取られている。

 

使い道があるなら、とメルカリに出して、無事購入された。

 

「購入している人はどこに利を見出しているのだろうか?」

ふとそんなことが気になり、ユーザーのプロフィールページへ。

 

やはりそこには、ジャンク扱いの電子機器が大量に並んでいた。

 

「これは儲かるのだろうか?」

SDGs的な目的でもあるのだろうか?」

 

などなど、色々と考えた。

そして思った。

 

「この人はサラリーマン的な働き方じゃなくて、自由気ままに暮らせるこの仕事が好きでやっているのではないか?」

 

ついつい

 

「人生とは高みを目指さなければならない」

「やるならトップを目指すべき」

 

などなど、鬱陶しい正解っぽいことを考えてしまう。

けれど人生はそんなにシンプルでつまらないものではない。

 

人の生き方や幸せは、誰かが計るものではないなと、メルカリを通じて考えさせられた。

消費する人と消費させる人の壁

最近、旅行で遠出する時にわざとカーナビを使わないようにしている。
目的地に辿り着くということだけで考えたら、めちゃくちゃ無駄。何も良いことはない。

ただし、冒険という観点で言うと最高。
そもそもきちんと着くことが確立されていない、ドタバタ劇、問題に次ぐ問題。

最高の合理的な生き方

人生どこまで最適化をしていけば良いんだろうと考えたことはありますか?
目的地へ辿り着くためにカーナビを使うがごとく、どこまで最適化すれば人生は合理的になるかなと。

生きる最高の合理的な終着点って今すぐ死ぬことだと思うんですよね。
生まれた時が始点で、死ぬことが終点なら、最適解は今すぐ死ぬこと。
より深掘りするなら、いかにコストを抑えてすぐに最短で死ぬか。
種の保全まで考慮に入れるとしたら、いかに自分の役割を早く終わらせるか、

だけれどそこまではいかない。せっかくだから生きている間ぐらいは楽しくいたいとか
生きているあいだになにかを成し遂げたいだとか、みんなそれぞれ生きているための意味というものを探したり考えたりしていると思う。

お金を払えば偉い教のおしまい

経営をしはじめて色々気付くことがある。
提供する側、雇う側になって気付くことがある
お金を払ってすべてを解決しようとしすぎた。

消費教に飼いならされた

お金をはらう = えらい。過剰サービス。
昔はなにもなかった。なにもなかったからえらい? なぜ、やるひとがすくなかった。
相手のことをおもいやるよりも役割を徹することをが重要視されていた
つまり人よりも役割が重要視された。

それが終わった。なぜか?
誰もやらなくなった。SNSの炎上とか。
そもそもお金を払って体験することが増えた。
プロが確立されすぎた
完璧を求めすぎた。息苦しさを感じ始めた。
そもそもそんなに完璧である必要があるのか?
若者は敏感

宮古島は台風が来るとみんな休む。
都会は台風が来た日こそ従順な兵隊かどうかをアピールするチャンス
けどもうそういうところで争う時代は終わった

モノが溢れた結果、コトにシフトしてきている。
ETCの話、たのしかった。
便利になった、冒険がただの移動になった。良いこともあればわるいこともある
東京まで行くお金がありませんと嘆く若者がいる。
片やヒッチハイクで色んな人と出会いながら、人生について深掘りする若者がいる。

その時間をどう活かすか
お金を払って手に入ったものはなんだったのか

そもそも消費以外の選択肢があるのではないか
新しい

よりよい会議のために、「最高品質の会議術 」を読んだ

結論

よりよい会議をひらくためには準備が全て(リマインドは1日前、1時間前) - 会議の前に何を決めたいか、何を相談したいかを伝えておく - 会議の資料を共有して、考えておいてほしいところを伝える タイムキーパー大事 - 議論があるのは良いが制限は必要。長くなるなら会議のあとで - 会議を小気味よく進めるためにもファシリテーターは時間は意識する

背景

むかしはこんな感じだった

「指示」「命令」に慣れた「自分の頭で考えない」メンバーが集まった会議ではディスカッションは成立しません。その結果、「マネジャーの独演会」や「数人のメンバーが議論を牛耳る不毛な会議」が生まれてしまうのです

いまのなやみ

  • 会議の内容に対してに参加するメンバーが多すぎる気がする
  • 人数が多いせいか、会話に参加しない人が出てきたり、覇気がない気がする
  • 時間 x 人数に対しての結果がかんばしくない気がする
  • ダラダラしてしまっている気がする

気がする、という雰囲気のものが多かった。

そもそも、何のために会議が必要なのか?

  1. 「決めて、断つ」ため
何かを決めるときには決断しなければならない。決断するとは「決めて、断つ」ことを指します。A案B案があるときには、どちらかを取って、どちらかを断ち切らなければならない。そして、もしかしたら選択を間違えるかもしれない。その恐怖心も断ち切らなければならない。つまり、意思決定とは「断つ」覚悟を決めることなのです
本来、「ネクストステップ」が示されない“報告”は報告と呼ぶに値しない、と。「ネクストステップ」とは、報告内容を受けて、「これからどうするのか?」を提案するということです。つまり、「報告+ネクストステップ」が示されて、はじめて報告と認識すべきなのです。

「決めて、断つ」、そして次になにをするのかを決める。 それは会って議論する価値のあるモノ。

  1. 相談のため
「報告+ネクストステップ」が終われば、「相談」に移ります。 ここで重要なのは、どんな些細なことであっても、ネガティブ情報をきちんと伝えることです。いや、まだ“些細な問題”に留まっている段階で伝えることに大きな意味があるのです。 なぜなら、「上司を絶対に驚かせてはならない」からです。トラブルが“小さな芽”のうちであれば、上司も手の打ちようがありますし、むしろ、上司のウデの見せどころとなる可能性すらあります。しかし、突然、大きな問題に直面した上司は、上層部から責任追及を受ける立場に立ちますし、トラブル対応に追われることになります。そして、“小さな芽”のうちに問題を報告しなかった部下に対する心証を決定的に損ねる結果を招くのです。

車のハンドルは、細かく切っていった方がコースをうまく走れる。 ハンドルをどちらにどれぐらい切るべきか、現実を理解、共有する。 それは会って議論する価値のあるモノ。

決めて断つ、自分たちが今いる場所を理解する

世の中のすべては冒険と同じだと考えている。例えば、山を登るのか、川を下るのかを決めて、断つ。川を下る決断をしたとして、自分たちは意図した道を歩けているのか、けが人は?食料は?位置は合っているか?など、常にお互いを助け合える状況にするために、会議は必要だと理解した。

この本を読んで改めて理解、気付いた点。

準備が万事、万事は準備

不要な会議 - 決断することも、相談することもない

よりよい会議をひらくためにはリマインドが必要(1日前、1時間前) - 会議の前に何を決めたいか、何を相談したいかを伝えておく - 会議の資料を共有して、考えておいてほしいところを伝える

時間に気付く

定例会議に1時間を取ることが慣例化していましたが、これを基本的に30分に短縮。提案書の事前提出を徹底させ(意思決定に必要な条件を満たしていないものは、この時点で差し戻し)、会議では3分以内でのプレゼンを義務づけました

気づかないうちに、「会議 = 1時間」のルールが自分の中でもあったので、30分で終わらせられるようにした。タイムキーパーも大事になるので、Time Timer® Time Timer タイムタイマー 19 cmを会社で買った。見える化は大事。

最近、課題に思うことを読書で解決できることが多い。 良い本を書いてくれた人と、その本の出会いに感謝。

沖縄の米軍施設で働いている家族の家に1週間ホームステイに行った

題名の通りだけど沖縄に家族でホームステイに行った。
1週間ずっと英語で話していた。
米軍施設の中のショッピングモールやレストランでご飯を食べたりして
国内にいながら海外にいるような体験ができてよかった。

細かい話が知りたければ個別に声をかけてほしい。

A Film About CoffeeをVimeo On Demandで見た

『A FILM ABOUT COFFEE』 from UPLINK Cloud on Vimeo.

渋谷にある映画館、UPLINKがVimeoを利用した映画配信を開始した。
早速昔見逃した「A Film About Coffee」を見た。
大変良かった。こういう映画もオンデマンドで見れるようになると
本当にありがたい。