自分が真ん中でありたいと願うなら
自分が中庸で論理的でありたいと願うなら、片一方の主張や情報だけで判断することは絶対にあってはならないし、思考を止めるような感情的な断定、判断はあってはならないと思う。
その意味で、アメリカの大統領選は問題が顕在化されているように見える。
インターネットなどでパーソナライズされた情報やフェイクニュースを信じて偏った判断をしてしまうという情報の取り扱いの能力の差が分断を生んでしまっているということを。
日々の生活においては、問題が起こった時に片方の言い分だけを聞いて、もう片方の言い分を聞くことを疎かにして、断定してしまうこともそうだ。ニュースもワイドショーも噂話も揉め事も。
とはいえ、問題は課題にできるから、この情報の取り扱いと判断の能力の差をどう埋めることができるのか、っていうのが次の産業や教育の基礎になるだろうし、しないとアカンなぁと反省している。
個人の問題としては
「茅ヶ崎に住んでいる男性は、夏は基本的に上半身は裸で外出しています。靴はビーチサンダル以外履きません。」という発想はよくない。日々反省😂